最終更新 2001年09月02日

スワラジ(Swaraj)とはインドの言葉で、

「Swar 自分で(の)」 「Raj 統治」

つまり「自分を治める」

という意味があります。

SWARAJ(スワラジ)とは、イギリス統治下の南アジアで「独立」のための標語として用いられましたが、本来は「自己の統治」の意味を持ちます。

 つまり、「ひとりでもやっていくこと」あるいは「それぞれが、ひとりでもやれることについて、自分で考え、自分で行動し、その結果を自分自身でひきうける生きかた」

1998年5月〜6月、インド・パキスタンの核実験の報道には、驚いた方々も多いと思います。

私も、専門的なことは知りませんが、「被爆国・日本」で、インドの楽器シタールを演奏をする者として、何が出来るのだろう・・
そこから、自分の出来得る中で、可能なこととして、自主企画の小さな集いを作る、ということを始めました。

「核兵器」によって、力や暴力によって、他の人間を支配していこうというのは、それを受ける立場からすると誰もが拒むべきこと。
でも、現実には、やはり歴然として、存在するようです。

武器の前には、音楽はまったく無力なのか?

いや、武器を使うのは、人間。その人間のこころに訴えることが出来るのが音楽。
そこから、このスワラジの企画は立ちあがりました。

スワラジに向けて
 ユーラシア大陸、またアジアの文化や哲学は、その長い歴史の中で、地域や人々、世代を通じ熟成されてきました。
 それはまた、日本に伝来し、この島の各地方の文化に、深い影響を与えました。

それはまた、それぞれ特有の風土の内に育成され、日本独自の文化を生み出してきました。
 それらの膨大な文化、哲学、芸術、芸能などを思い浮かべるとき、ある種の共通の感覚を感じ取るのです。

 <人間は自然界の中で、きわめて弱い存在である>
 <その認識の上に立って、生き延びるために、人間は優れた伝統を作り上げていく>

そんな、感覚、感じ方、です。


 しかしまた人間の歴史は戦争の歴史でもありました。
 近代を考えてみても、そこには、技術革新による兵器の近代化があり、植民地政策による国家間の貧富の差の増大等あり、決して、「近代化」が人間の幸福をもたらしてきた、とは言えません。

 核兵器は、科学的には、皮肉にも人間の叡智の到達した最高峰の科学ともいえるものでしょう。
 「核兵器」のことについて、ほとんど知りませんでしたが、少しづつ、分かる範囲で調べています。

スワラジ


 またインド・パキスタンの核実験に、被爆国の人間として抗議するというのは、当然のことのようにも思われます。ただ、例えばインド人の人の中には、「そうはいっても、君達の国は、核の傘の下で、守られているじゃないか。自分達だけ強いものの背後にいて、弱い立場を非難だけするのは卑怯だ。」と単なる非難をたしなめる意見もあります。
 これには、考え込んでしまいました。

 ただ、やはり何十万の人間の頭上で核爆弾が炸裂したというのは、紛れもない事実ですし、そのことを、語り継いでいくことは、生き残った人間のやるべき事柄のはずです。
 
 漠然と「恐ろしいもの」とか、理念だけで「なくすべきもの」とかとらえるのではなく、上に述べたような、優れた表現や文化の伝統になりうるものとして、発展させていきたいと、願っています。
 もちろん、私一人の力などは、「伝統」を作るといったことの前では、無に等しいものです。
 ただ、やれることを、少しづつでもやっていく中で、この地球のいたるところで、同じように感じ、悩み、何かを続けようと思っている方々と、手を取り合っていけたならば、小さな一歩でも踏み出せると思います。

 そんな事を願い、小さなコンサートを企画しています。

 少しづつですが、私なりに考えたこと、今までのコンサートの経過、などを報告していきます。


平和コンサートの資料

1989年、港区役所「平和祈念コンサート」の記録より いただいた手紙


 1999年、新横浜・スペースオルタ 「SWARAJ」


作品

橋爪文「少年」より  


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