6月27日 「ゆう画廊での演奏」
きのうは、銀座の「ゆう画廊」での演奏でした。
昔、エスニック・レストランでよくDuoで演奏をしていた、ギターの金井一朱さんとの演奏という企画でしたが、彼は今、太鼓の教室を運営されていて、そこの生徒さんの太鼓、金井さんのラバーブ(ペシャワールの楽器)、それに私、辰野のシタールという組み合わせでした。
前日に、教室で打ち合わせをしたのですが、そこの生徒さん達もみえて、さながら、「昨日の続き」という感じでした。
でも、教室を運営されるのって、苦労も多いんでしょうね。もちろん楽しいこともあるんでしょうが。
私は、きわめて苦手なことなので、運営されている方々、本当に感心してしまいますよ。
さて、演奏は、基本的な音階、それに簡単な合図のメロディを決めての即興演奏でした。
かって長年一緒に演奏していたので、何となくお互いの、音楽のもっていきかたとかは、分かっている部分が多いのですが、(そして、それを確認出来るのは楽しいことですが)また時間がたつと、お互い変化するんですねぇ。
合奏では、いつも思うことですが、ほんと、ひとりひとりって変っていきますので、「同じ合奏」は二度と出来ないんでしょうね。もちろん「同じような」ものは何度でも出来るでしょうけど・・・
記録として、録音は残せますが、演奏者からするとそれはあくまで、過去のもの・・・録画などを見るたび思います。
やはり演奏者としての関心は、今、自分が何が出来るか、何をどこまで作れるか、にあるんでしょうね。
で、そこでいつも、聴かれる方に満足していただける(もちろん自分にとっても)ものを作りだすのは、大変・・でも楽しいことです!
このところ、そうした「作る」ことに関心が向いているようです。
ただ、これに集中しすぎると、「生活する」ことの関心が薄れがち・・・になっちゃうんです。
さて、どうしよう?作るべきか作らざるべきか・・・・
6月25日 「あじさい色の詩(うた)」
昨日は、神奈川県大和市の「カフェパウリスタきさらぎ」でのジョイント・コンサートでした。
小さなスペースですが、とても落ち着ける雰囲気の場所。訪問先の客間でコーヒーを飲んでいるような、そんな気持ちにすらなる、親しみが持てる場所でした。
演奏は、高野るりさんとご一緒でした。
彼女は、音楽の他にも、造形作家でもいらして、作品のエスニック風衣装の人形を舞台に置いたのですが、これがまた素晴らしかった!!「あじさい色の詩」のタイトルのように紫陽花の花のイメージの服を着ていました。
演奏前にお話していたら、娘さんの嫁ぎ先シドニーの美術館を訪問してお母さんにあった!というお話。
なんだろうと思っていたら、大正時代の著名な画家(名前は忘れた!ごめんなさい)の晩年の代表作に高野さんのお母さんがモデルで描かれていて、それがちょうどシドニーの美術館で公開されていた、ということでした。
「旅先のシドニーでの親子3代の図」というのを想像してしまいました。
もうそれだけで、画題になりそう!!
高野さんご自身、「絵を描くように音楽をしたい」というお気持ちで唄われるとのことでした。
さて演奏ですが、彼女の即興詩から、自然に即興の歌が始まりシタールがそれに音をつけていく、というスタイルが中心・・・
お客様ひとりひとりに、即興の歌で挨拶。
演奏の即興は、慣れていますが、作詞・作曲・伴奏 全部が即興というのは、またいいものですね。
「話し」が自然に「詩」になって、やがてそれに節がつき、「うた」になる・・・
生き方みたいなものが、ふと、言葉になってあらわれます。さすが!です。
6月17日 「横浜市緑区緑ほのぼの荘での演奏会」
昨日は、横浜市緑区にある、緑ほのぼの荘、での演奏会でした。
これは緑区役所の行っている「緑ふれあいサロン」の催しです。
ホームページを見ました。という方が何人もいらしていただき、とってもうれしかったけれど、ちょっと照れちゃいました。
演奏会で、皆様の前に出て演奏をするのは、これは、いつものことで慣れています。
けれど、ホームページって、演奏会の時間だけではなく、もっといろんなことを書きますので、何かとっても個人を良く知った人の前で演奏するような気がして、ちょっと気恥ずかしいわけですね!
でも、どうもありがとう!!
今後とも宜しく!!なんて自分のことを宣伝してますよ(^^ゞ
会の準備では、ふれあいサロンの皆様総出で会場を作ったり・・・お茶の準備をされたりと、大忙し・・でも、そうやって皆の知恵を生かし合いながら、「場」を作っていくって、素敵なことですね。
そこで、「作る」ということについて、考えました。
突如、「考える人」になったわけです。
考える人のモノローグ
「作る」ことは、これはもう人間の本能みたいなものかも知れませんね。
例えば、草木や虫だって、何かを作っているようにも見えますが、それよりもうちょっと人間のほうが、「作る」ことに貪欲なのかもしれません。
「ご挨拶」に書いたように、人間って、やっぱり弱い生き物のような気がしているんです。
だから「作る」ことにこだわる・・・・個体として創造をしていかないと、種として生き延びていけない生き物のようにも思っちゃうんです。
そして、その「作り出す」というのは、何も文化・芸術なんていう大げさなものではなくても、もうちょっと日常的というか、身近な暮らしの中にあるもの、のような気がしています。 |
■ ■ ■
さて、演奏は、唄・高木春恵さんとギター川口光さんとご一緒でした。
「SUARA」のレパートリー・・・「メナム」「SongFor」「これで充分」など
しかも、またしても、ついタブラで伴奏してしまった・・・
・・・・う〜ん・・・・ 太鼓叩くのも嫌いじゃないんだけど・・・
6月15日 「音楽のお勉強してます」
突然、Midiを勉強し始めました。
Midiなんていうと、何か難しそうで、専門的で、同じ音楽でも、全然手のつけられないものかなぁ・・・とも感じていたのですが、入門程度なら、それ程ではないようです。
もちろん、「奥」は際限なく深そうですが・・・
まず、初心者でも扱いやすいフリーソフト「さくら」をインストールしました。
「ドレミ」で曲が書けるというのは、私にとってありがたいことです。
なんせ私は昔、「はい、譜面書きました!」といって、「#」と「♭」を全て反対に書いた譜面を平然と渡したくらい「譜面」に対しての不心得者なのです!!
渡した相手は皆、専門家たち。多分目を丸くしたでしょね。ごめんなさい。
インドの音階は「サ・レ・ガ・マ・パ・ダ・ニ・サ」(ドレミファソラシド)で表現しますので、それを、ドレミに代えて、後は拍を合わせれば、メロディが書けるわけです。
つまり、例えば「きらきら星」だったら、ササパパダダパー ママガガレレサー(ドドソソララソー ファファミミレレドー)です。
ちなみに、リズムパートについて、このソフトは、「太鼓語」があるんです。
機能は本当は色々あるんでしょうが、なんせ初心者の私としては、一番簡単なものでとりあえず、精一杯!でも、面白いです。
「ど」「た」「つ」「ち」「ぱ」というドラムの音・・・これを組み合わせると・・・例えば
どたどた つちーち どたたち ぱーーー
つーつー たちたち つーちち たちつー とか、なるわけです。こちら
休止符として「ん」も使えますので「どたぱた ちんちん ぱちぱち どんどん」なんてフレーズも作れちゃうわけです。こちら
上の「きらきら星」とMixすると・・こうなります
こういうのって、幼稚園あたりで披露したら男の子達が盛りあがりそうだな・・・
もう頭の中が、「どたつちぱー」状態になります!
タブラというインドの太鼓にも、Dhatrkt(ダーテレケテ)とか、言葉がありますが、どたつちぱーは、ひらがなで書くので、なんともいえない愛嬌がありますネ!! |
ただ、シタールなどの独特な節回しを表現するのは、私はまだぜんぜん無理です(-.-)それが、出来ないと、シタールの曲といっても、中々それらしくならないみたいです。やっぱり、そこまでのレベルは、かなりのもののようです。
で・・初心者としては、手始めに、簡単なオルゴールの曲を作ってみました。「更新情報」にも書きましたが。
始めは、メロディを書くだけで、何度も出来たものを聴き返し、苦労しました。 なんとか、まとまったので、次は、簡単な伴奏を作ります。 ところが、この辺から、がぜん面白いというか、興味が出てきました!
なにせ、シタールは、単旋律の楽器です。(沢山の装飾音はありますが) そればっかり弾いていましたので、幾つかの旋律との絡み具合というのは、興味深いです。
まあ、作曲の人にとっては、あたりまえのことなのかもしれませんけど・・・・ すっかり、夢中になってしまいました・・・が出来映えはいかがなものか・・
まあ、これは、勉強を兼ねたちょっとした楽しみです。
さて、シタール弾きとして、実際の生楽器との違いを述べるとなると・・・・
う〜ん、一口に言えないものですね。
どっちが「優れている」「劣っている」とは較べられないでしょう。 生楽器も音楽の「道具」のひとつですから・・・・
要は、どんな道具を使うことか、より、どんな音楽をやっていくか、が先でしょうね。
でも、これは、実は一生かかっても答えが見つからず、同時に、一番大切なことのようにも思っています。
6月11日 「>続・何となく・・」
またまた、何となく・・の続きです。
昨日は、雨模様の天気でした。夏の訪れを告げるような雨です。
静かな時間に外に出てみました。ふんわりと包み込むような空気です。
木立は、水気を含んで、ひっそりとたたずんでいました。
久しぶりに「自然」と話が出来そうな、時間・・・・
本当に大切なことのように思うのです。
前に手紙の返事に書いたように、「自然」は何も雄弁に語ってはくれませんが、問いかけるひとの思いを、返してくれるようです。
そうやって、ひとは何千年も生き延びてきたのでしょうね。
「自然」からみれば、こんなに困ったやつはいないのでしょうけれども。
けれども、そんな困ったことすらも受け入れるのが「自然」なんですね。
その大きさには、限りある生命を持ち、こころを持った人間はかなうわけはないのでしょう。
でも・・・・
だからこそ、愚かで、ちっぽけな生き物「人間」って、やっぱり素敵なんでしょうね。
そんな思いが続いてきたから、こんなに自然界で矛盾を抱えた「人間」が生き延びてこられた・・
何となく・・・・そう思っています。
6月9日 「続・何となく・・」
また、何となく・・の続きです。
更新情報にも書いたのですが、この数日、HP上のファイルを整理していました。
機械に向かっての作業です。
6月3日の日記でも触れましたが、昔プログラマーだった頃を思い出しました。
派遣業でしたので、多くの場合、現場にいってバージョン・アップの仕事を手伝う作業が主なものでした。つまり、作られたプログラムの不具合を直したり、新規機能を付け加えたりする仕事です。
納期がありますので、作業が難航している場合、多くのプログラマーが投入されます。
現場仕事は中々大変!
でもこれは、とても重要な作業だと思います。
現に、こうやってご覧いただいているインターネットを介して見る「ホームページ」というものも、機械・OS・通信・アプリケーション・・・などなど、それぞれが様々にバージョン・アップして、その積み重なりの上にあるわけなのですね。
ただ、かって私がやっていた作業が、その積み重なりのどの部分にあたっていたのか、知るすべもありませんが・・・
昨年の暮れに、特価品のノートパソコンを買って、始めてパソコンに腰を据えて向かい合い、またインターネットに接続してみて、かつて私が作業していた機械環境と較べてだいぶ使い勝手がよくなっているのに驚きました。
これも、バージョン・アップが重ねられた結果でしょうね。
ですから、お使いになっていて、何かしら不具合があった場合、それを製造元に伝えるというのは、実は技術を後世につなげるための大切なことなのです。それによって、色々なシステムの次のバージョン・アップにつながるのですから。
ただ、適切な指摘ではないと、製造元も困ってしまいます。
極端にいえば、ガソリンが入っていなくて動かないのに、自動車メーカーに「この車は壊れている!」というようなこと・・・実はこれ、恥ずかしながら、私の得意技!^^;
入門者へのサポートも含め、これから出来てくるものがまだまだありそうですね。
「便利な機械」といっても、人間が考えて作ったものです。
そして多くの人間が使っていくものです。
それをどう使うかはそのひと次第です。
「楽器」と似ています。 |
インターネットの歴史など、興味深いことは、沢山あるのですが、また今度。
6月3日 「何となく、日記を読み返していました」
仕事の谷間の日、何となく日記を読み返してみました。
HP上での日記の面白い点は、個人的な思いを書いたものなのに、たくさんの方にも読んでもらえるという点です。
本来、プライベートな日記というのは、多くの人に見せるのを想定して書くものではないのでしょうが・・・
でも、昔から「日記文学」みたいなものもあるわけですよね。
どうも先月は、日記をあんまり書かなかったみたいでした。
4月の更新情報でも書いたのですが、4月まで、日記を書くのが面白くて、他のことをあんまりしなかった・・・これを反省したわけです。
そこで、5月になって、シタールについての原稿を書いたり、ついでにJavaScriptの勉強をしてたり、とそっちの方向でページを充実させようと頑張りました。
昔、インドから帰ってから、生活のためにコンピュータのプログラマーをしばらくやっていた「癖」がむらむらと出てきて、プログラミングとか、懐かしがって楽しんでいました。
でも、ふと、もう一度日記などを読み返してみると、始めの初々しさが、なくなっているんですね。一体これはどうしたことでしょう!
まあ、音楽家はいい演奏を、(それは単に人に受けるとか、評価を受けるというのではなく、自分の心にとっていい演奏を)することで、いつも気持ちをリフレッシュさせていくものなのでしょうか。それが出来なくなると、とても、心というか気持ちが、萎えてくるんでしょうかね。
いつもいつも、わくわくするもの、自分の心もわくわくするような音楽、次の瞬間、何が起こるか、どんなことが待っているか、誰にも分からない・・自分にも分からない・・・
まるで「旅する気持ち」ですね。
でも、きっと素晴らしいことがあるんだろうな、って思える、そんな音楽。
それが、自分を支えてくれるもののように思えます。
そして、そんな音楽が、ひとの心にどんなにわずかでも、届けば・・・
気持ちの中のほんの片隅でもいいから、支えになることが出来たら・・・
次の瞬間が、待ち遠しい事って、人を活き活きとさせてくれますからね。
そんな音楽を続けていきたいです。
6月2日 「シヴ・クマール・シャルマさんの演奏会にいってきました」
サントゥールっていうインドの楽器、ご存知ですか?
箱に沢山の弦が張られていて、それをスティックで叩くのです。
ペルシャにも同名の楽器があります。中国では揚琴、タイではキム、ヨーロッパの民族楽器としてハンマーダルシマなどと呼ばれるものと、同族の楽器です。
え?形が良く分からない?
実は、中国の象形文字でこの楽器をとても表している(と思っている)字がありますよ。
「琴」です。ほら、箱(今)の上に弦が張られている様子がよくわかるでしょ!!
これ(王王)をスティックで叩けば、いいわけですね
それにしても象形文字の文化ってすごいですよね!ものごとをビジュアル化していく発想ですね。話がそれました。
このサントゥールの演奏家として著名な、シヴ・クマール・シャルマさんの来日公演が昨日ありました。
演奏の詳細・感想等は、こちらのページをご覧下さいね。
会場には、色々な懐かしい顔もありました。シタール弾きが(だった方も含め)知っている人だけで6〜7人もいらっしゃいましたよ!!
でも、こうやって、優れた演奏家が演奏会をもつことで、たくさんの人が集まり、また感動をわかちあえる・・・すてきなことです。
これは、本当に太古の昔から人間が行ってきた大切な営みだと思うのです。
長い人間の歴史から見たら、今の世の中で主流のビジネス的興行というのは、そんな中の、ほんの一瞬の、ほんの一部分・・・・
シタール弾き、皆が集える場所が少しでも多く作れればいいな・・・
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