■年頭や開設の際に書いた挨拶文です。


ごあいさつ4 2006年 1月

インドのシタールと出会い、歩んできたことは、
私にとって、音楽や楽器を習得する以上の意味が
どこかにあるような気もしています。
音楽について、人生について、
いつも戸惑いながら歩んできました。
貧しい暮らしは、いつもついてまわりますが、
両親、兄弟、家族はじめ、仕事や暮らしを通して
支えて下さった方々が、
自分にとっての一番の財産であり、
そこから生まれてくるものが、
自分なりの正直な表現なのだと、改めて思います。

年が明けて、アジアについて自分なりの考えを
ゆっくりと、まとめていきたいと願うようになりました。
子供達も、毎年少しずつ成長していきます。
それに合わせて親も自分なりの歩みで
成長していきたいと思っています。


ごあいさつ3 2005年 10月

娘達も成長してきました。
娘達と向かい合い、家族のホームページをつくろうね と作り始めたホームページです。

いつの間にか お父さんの仕事のホームページになってしまいましたが
やはり どこか家族のホームページを綴っていきたい部分が、私の気持ちにはあります。

仕事、暮らし、生きること
現実の中を ささやかでも しっかり生きていきたい



ごあいさつ2

・・・「あれから 僕達は 何かを信じてこられたのかな?」

2001年9月11日のニューヨークの事件は私にとって
とても大きなネットライフの転機だったように思います。

STOP報復のコンサートに出演して
繋がる喜び・・けれど、現実はそれだけでは
変わることない 失望感
その 両方を知りました。


何故かチャットやネット・コミュニティの世界に夢中で入り込みました。


そんな自分のこころの何かを埋め合わせたい・・
そんな気持ちからだったと思います。

何かに酔ったように、夢中でキーボードを打つことで
何かから逃げられるような気がして。

でも、そんな中で、やっぱり人間っていいものだよなぁ
そういうことを学びました。


ノートパソコンが壊れ、新しいパソコンになりました



ごあいさつ1

2001年2月に、開設したページです。
少しづつですが、色々な内容を盛り込んでいきます。

このサイトを開設して三年が過ぎました。
インターネットの接続環境、
そして、ホームページ作成の環境も年々変化があるのでしょうね。
色々な方が、それぞれの思いを発表出来る場があるのは、素敵ですよね。

さて・・・自分としては・・・
多くの方がご覧して下さる中、どこまで成長したのでしょうか
あまり変わっていないようにも思えます。

変わり映えしない、そんな自分であっても、
どこにいても、どんな場にいても
自分自身でありたいものです。


小さなノートパソコンから、始めました。
そして、今も相変わらず、パソコンに向かい、言葉にならない何か、お伝えしたいと感じるものを書き綴っています。

音楽も、ホームページ管理も、まだ、分からないことばかり。
そして、貴重な練習時間を割いても、作っては直し、作っては直し・・・を繰り返しているのです。

作っていく中で、見えてきた事、むしろ見えなくなってきたこと、いろいろありそうです。
「分かった!」と思ったとたんに、手のなかから、するりとこぼれ落ちてしまう何かってあるみたいです。
いつも、ひとの手の中にじっと収まるのを拒むもの・・・たとえば、感動・・とか・・
だから、それに憧れ、それを夢みて、いつもの日常を過ごしていくのでしょうか。


でも、こうやってはるばる、訪ねてきていただいた方に、少しでも喜んでいただきたい、少しでも心の中に残るものをお伝えしたい、というのは、やはりシタールの演奏会での想いと同じです。

心を込めておもてなし出来るような、ほっとひといきついていただけるような、そんなサイトにしていきたいと願っています。


20年近く、シタールの演奏活動を続けさせていただき、色々な事がありました。
あまりに、楽器を永年持ち歩きすぎたため、頚椎(首の骨)が曲がってしまったほどです。

それでも、人との出会いの素晴らしさ、ダイナミックさにひかれ、大きな演奏会でも、数名の方の前での演奏でも、同じ気持ちを持って、楽器を担いで、また出かけていくのです。
それが、自分のやるべき、とても大切なことだと、少しづつ分かってきたました。

シタールを弾いていてよかったなあ・・・と思えることは、ここまで何とかやってきたので、美しい(と自分が思える)音とともにいられることです。
もちろん、まだ力不足の部分もありますが・・・・

音楽は、本当に古くからあったものです。奏でる先から消えていってしまう。
けれども、またそれを新たに生み出していくのは、どんな時代になっても、やはり人間でしょう。


インターネットの歴史は浅いのですが、示唆されるものがあります。 1969年、アメリカ国防省が、核攻撃に備えて、コンピュータを分散させた軍事ネットワークに端を発する、ということを考えても、とても「時代的」な仕組みと思います。 やがて、大学や研究機関の中で専門家達の「相互扶助」の研究ネットワークとして発達し、その後、商用として使われるようになりました。

順に追って言葉を並べてみれば

核 軍事 非営利 相互扶助 共有

・・その先にあるものは・・






人間は絶えず新しい道具を作っていかないと、生きていけない、ある意味では脆弱な生き物のようにも思っています。
インターネットは、人間のつながりを、新しくしていく道具。
そこから、ひとは何を生みだし、何を育ていくのでしょうか。

願わくば、すべてのひとに、輝く未来の訪れを! ! !


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