インド音楽鑑賞   01.07.29更新

本文は、アーユルヴェーダ通信Vol.4 No.3 '90/9/1(日本アーユルヴェーダ学会・発行 http://www2.begin.or.jp/ytokoji/ayurveda/ )で掲載されたものに、加筆訂正を加えて、連載していきます。


はじめに

 例えば、日本の伝統文化に関心をもつ外国人に、「春の海」を聴かせて、「これは古くから日本で親しまれている伝統曲です」と紹介するようなことは、よくありがちなことです。また、正月に「伝統曲」として様々なメディアで使われています。
 これは、宮城道雄の作曲した近代の曲ですから、「古来の伝統曲」とすることは間違っています。しかし、その曲には、そう言ってしまっても、不思議ではない何かを、私は感じるのです。
 音楽を「鑑賞」するということは、そのような「何かを感じ取る」言い換えれば、「その人の内面の深い部分で受け止める」、作業だとも思います。


 これから、述べていくのは、今まであまりインド音楽に親しむ機会がなかった方に、そんな「何かを感じる」きっかけ、あるいは、親しんでいただける動機のようなものを、お伝えするのが目的です。
 なるべく、分かりやすく、親しみやすく、述べさせていただきます。

  現在、インド音楽についての研究会も、いろいろあるので、私も勉強させていただきながら、随時このホームページでも、取り上げていくつもりですが、ここでは、私なりの解釈で、この音楽について、多くの方に分かりやすい形で説明させていただきます。

 分かりにくいところがあったとしたならば、それは、音楽の難しさではなく、私の説明の力不足の一言につきるものです。



インド音楽の種類

 インドは、古い歴史をもち、また、多くの民族が同居していますので、異なる文化がまた同時に存在しています。
 ですので、ひとくちに、インド音楽といっても、様々なタイプがあります。

  1. 伝統的・古典的音楽(文化圏によって、大雑把にに北インド(ヒンドゥスタニー)と南インド(カルナティック)に分類されます。
  2. 映画音楽・商業音楽等のマスメディアを主な媒体とした音楽
  3. 地方の、または、ある地域の民族独自の、伝承文化の中にある音楽

 今回ここで取り上げようとするのは、1.のうち、北インドの古典音楽です。(以下これにつて、「インド音楽」と省略して呼びます)
 しかし、特定の「分野」の音楽でも、

  • 演奏されることを制約されている音楽
  • 権威等によって、完全に保護された音楽

 などを除いては、周囲にある違った分野の音楽と、互いに影響を及ぼし合いながら、発展するものですので、他の分野、また、近辺の文化圏(例えばペルシャ音楽)の音楽を理解する上でも有益だと思います。


 

ドローン(通奏音)について

 ドローン(通奏音)は、この音楽にとって、極めて重要な役割を持っています。旋律・そしてリズム にとっても、この通奏音は、演奏の基準となるものです。

 インドの音楽の多くは、転調、あるいは、基準の音を曲中で変える、ということをせずに発展してきました。

 慣れない方が良く言われる「インド音楽はどれもみな同じに聴こえる」というご感想は、裏返せば、<このドローンが非常に意識される>、ということかもしれません。
 演奏者、また慣れ親しんだ聴衆とも、この音については、それ程意識せずに、その上に乗っている旋律なり、リズムなりに敏感です。
 と言うよりも、良質のインドの古典的音楽を聴きなれた、いわゆる「耳の肥えた」人達にとっては、基準の音とどれほど離れた音が、どれだけ美しく響くか、経験的に知っているので、そこまでいく音の推移を、集中して聴き、楽しむのです。
 慣れない方々にとっては、まるで別世界のことをお話ししているようにも、思われるかもしれませんが、慣れてしまえば、それはそれ程特別なことでも、ありません。

 この通奏音をはっきり出す楽器があります。それはタンプーラ(タンブーラ)といいます。
 タンプーラは、4〜6本ほどの弦が張られている、撥弦楽器で、すべて開放弦で弾きます。つまり片手だけで弾ける楽器ということになります。
 きわめてシンプルな奏法ですが、その音響的効果は絶大で、そういった意味では、たいへんに重要な音楽的位置をしめる楽器です。
 インドの古典音楽の殆どにはタンプーラが使われていて、著名なシタール奏者ラビ・シャンカールは著書のなかで、古典音楽にはぜひとも必要な楽器である、と述べています。
 通奏音と言いましたが、タンプーラには、複数の弦が張ってあります。これを弾いて演奏することは、リズムを出すことではないか、と思われる方がいらっしゃるかもしれません。
 けれども、タンプーラの奏法は独特で、巧みな奏者による音は、まるでオルガンか弓奏楽器かのように持続音として聞こえてきます。

 先年、ドゥルパッド(北インドの古い形式の歌曲)のワシフディン・ダーガルさんが来日されたとき、ふたりのタンプーラ奏者がご一緒でした。それまで、何回か録音されたものは聴いていたのですが、あのタンプーラの音は、インドのとても反響の良い石造りの部屋のようなところで録音されたもの、とばかり思っていました。
 けれども、実際そばで聴くと、やはり楽器そのものが、持続音を出していました。「シンプルだけれども、とても難しい楽器だ」と、ワシフディンさんは、はっきり言われました。
 大概の場合、タンプーラは、その他の華やかな演奏の陰に隠れてしまうのですが、例えば、オーケストラの中で、音をひとつも出さない指揮者が、音楽を作る上で、とても重要な役割を果たすように、インドの古典音楽においては、タンプーラの持続音が、音楽的に極めて重要な役割を持っているのです。


 

RAGA・育てていくもの

インドの古典音楽では、曲のことをRagaと呼びます。ただ、このRagaは、西洋の古典音楽でいう「曲」よりも、「〜長調」「〜短調」、あるいは日本の邦楽でいう「〜調子」、のようなものです。
つまり、カテゴリーの分類のしかたが、ちょっと「曲」とは異なるのです。

つまり、西洋古典音楽ですと
芸術>伝統芸術>音楽>作曲者(>調>曲名>楽章)   のように、分類されるでしょうが
インドの古典音楽ですと
芸術>伝統芸術>音楽>Raga>演奏者   のように、分類されることになります。

上のふたつを比較していただくと、よく分かると思うのですが、「作曲者」は、インドの古典音楽では、「演奏者」にあたり、「調」が「raga」にあたります。
さらに、「作曲者」という個人よりも、Ragaが上位にあります。これは、「Raga」という体系が、とても長い時間をかけて蓄積されてきた伝統ということを表しています。

西洋音楽・インド音楽の両方に造詣の深い作曲家・二宮玲子氏によれば、「西洋の古典音楽では、『Raga』にあたるものは『調』であり、長調、短調のおおまかな分類のなかで、音楽を発達させてきた。そこから、和音という体系を極めて高度に発達させてきた。しかし、インドの古典音楽の場合は、むしろ旋律体系である「調」を数多く、高度に発達させてきた」(辰野聞き書き) ということになります。

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