「どうしてシタールを弾き始めたのですか」とお尋ねになる方々がいらっしゃいます。
シタールを始めて、のめり込んでいったきっかけは、自分でも良く説明出来ないのです。
そこで、そんな方々のために、シタールを始める前のことから、お伝えすれば、何か分かっていただけるかな、と思い、恥ずかしながら、私的なプロフィールをお知らせいたします。
他の人に胸を張って言えるほど立派な個人史では、まったくありません。
「ふーん、世の中こんな人もいるんだね」程の、何かのご参考になれば、幸いです。
子供の頃から、なんとなく音楽に親しんでいた、そんな程度の体験談です。
1957年、東京都足立区五反野で生まれました。
3歳ほどで、埼玉県の大和町(現・和光市)に越しましたので、生まれた町の様子は覚えておりません。
ただ、何となく、戦後の焼け跡の広い原っぱが、残っていたようにも、ぼんやりと記憶しています。
小学校2〜3年生くらいのとき、ピアノを習っていました。なぜ始めたのか、これも良く覚えていません。
おもちゃの鍵盤ピアノをえらく気に入っていて弾いていたので、両親が気を利かせて本物のピアノを習わせようと考えたのでしょうか。
何箇所かのピアノの先生の所に通いました。
ただ、その当時ピアノを習いに通うのは、まわりでは女の子ばかりで、友達と遊んでいる途中で、女の子ばかりの所に出かけるのは、ちょっといやでした。(今でもです!!・・・と、いちおう言っておこう)
結局は、あまり上達しないでやめてしまいました。ちょっとは譜面が読めたので、学校の音楽の授業は楽でした。(今はほとんど読めません・・・「退化」しました)
ほとんどやったこと覚えていないのですが、ひとつ残念だったのは、練習曲の中ですごく好きなのがあって、ほんとに夢中になって練習したんです。 いつもは、譜面のいたるところに赤鉛筆で、ここはもっと強くとか、ここはどう弾きなさいだの、沢山注文をつけてくる先生が、「あっ出来ましたね、じゃあ次いきましょう」と、ぱっと次の譜面をめくってしまったことです。
これだけ好きな曲だったのだから、もっと、色々、詳しく弾き方を教えてくれたり、時間をかけ、もっといいものにするように指導してくれればよかったのに・・・・と、今でも残念だった気持ちはかわりません。
今、シタールを弾いているのは、そんなところに、根っこがあるのかなあ。
今でもそうですが、子供の頃からぼーっとしていました。
学校でもそうでしたね。だいたい要領が悪く、例えば、図画工作とか習字とかは、もう水はこぼすわ、筆をひっくり返すは、だいたい、皆でならんで道具とか洗うと、たいがい一番最後までかかってしまう、という具合。
そんな子はたいがいクラスに一人はいるものです。まあ、そのひとりでした。
中学生になって、なんとなくギターを弾いたり、ブラスバンド部でトロンボーンを吹いたり、してました。
(トロンボーンといえば、あれは、スライドして音を決める楽器ですね。実は、管楽器のなかでは、インド音楽に向いている楽器だと思うのですが・・・ホルンなんかも、よさそうですね。今度、作曲家の二宮さんに提案してみよう!)話がそれました。すみません。
そういえば、ギターは、父の会社の同僚の方が、学生時代ギターをやっていた、ということで、そのひとに、使わなくなったギターを、教則本と一緒にもらった事がきっかけではじめたのでした。
その当時は、フォークソングやロックやり始めた友達も多かったのですが、そしてギター弾けるんなら一緒にバンドやろう!と誘われて付き合ったこともありましたが、なんせ始めが、クラッシクの教則本でしたので、時々思いだしては「ちょうちょ」とか、弾いてました。(でも、始めて独力で「ちょうちょ」弾けたときは、すごくうれしかった!)
ちょうちょを弾けた!!ときの記念すべき気分←これは、始めて動いた!!ときの記念すべき動画
そのうち、段々教則本から離れて、一人で勝手に、気の赴くままに自分の技量にあった曲を作っては、弾いていました。そのころから、即興的演奏が好きだったのでしょうか。
自分でも判断つきかねます。
ギターはそれ程上達しませんでしたが、自分のこころを慰めてくれるものでした。弦の音は、そのときの自分の気持ちを、音として表してくれるものです。シタールに出会うまで、ギターはいつも身近にいてくれた楽器でした。
その当時のメロディを思い出してみました。BGMにしました。 (懐かしいオルゴール風に)
こういうのって、自分でいうのも変だけど、メロディといいアレンジといい、何かかわいらしい感じです!
ちょっとノスタルジーっぽい気もしますが・・
もっとも今の私としては、この程度の曲しかMidiで作れませんけど(^^ゞ
しかし、何十年ぶりだろう・・忘れないものなんですね。メロディって! |
高校は、埼玉県立桶川高校という学校です。
志望の学校の受験に失敗して、二次募集の新設高校に進学したので、始めのうちは、失望していました。しかし、上級生がいない、つまり何事も先例のないところで自分たちでやっていく、という気質が何となくあって、それがとても励みになりました。
今、まだそれ程一般の方々には、馴染みの薄いインド楽器を演奏しているのも、こんな時の、体験があるから、なのでしょうかね。
当時は、周囲は武蔵野の雑木林と田畑に囲まれ、とりあえずの木造校舎が思い出すと魅力的で、ぼーっとしながらも、野生児のようにしていました。
確か、ラビシャンカール(インドの著名なシタール奏者)の録音を聴いたの、このころだったかなあ。多分、ヘルプ・バングラディッシュ・コンサートの記録レコードで、誰か友人の家で聴いたはずです。
ただ、これはシタール弾きとして、大きな声で言えないことかもしれませんが、「ふ〜ん これがインドの音楽か」、程度の感想しか持たなかったのです。(あー、ナンタルコト!!)
ただし、長年シタールを弾いてきて分かったのは、インド音楽の独自な味わいを、的確に録音したり再生したりすることは、かなりの研究を要するのではないか、ということす。
「インド音楽鑑賞」の所でも触れていくつもりです。
このホームページでも、詩を発表させていただいていますが、詩とか文章を書き始めたのも、この頃からです。
ノートに、思いつくままに、ぽつぽつと書いていただけですが、 仲間たちと同人誌「雑布」(今考えても変な名前です)を作ったりしていました。
音楽については、相変わらずマイペースでした。そういえばその当時、ロックとかフォークソングとか流行っていて、やっている友達もいて一緒に演奏したりもしましたが、相変わらず「ちょうちょ」の延長の、自己流クラッシクギターを家では淡々と弾いていました。
大学にぜひ行こうと思ったのは、高校を落ちて、しゃくだったからです。ところが、持ち前ののんきさから、高校では、あまり勉強しませんでしたので、結局二年浪人しました。
学校は私立の明治大学です。二年間の浪人と大学の学費と生活費を出してくれた両親に感謝いたします。が、進学の動機が、「しゃくだったので」という不純なものでしたので、専攻の学科選びも、「これから世の中でるんだから、少しは世の中知らなくちゃ」という、情けない理由で政治経済学を選びました。
あまり勉強熱心な学生ではなかったと思います。1〜2年生の時、教養ゼミというのがあって、そこで安藤元雄先生の「住民運動」のゼミを取りました。水俣病とか足尾銅山鉱毒事件とか、調べてレポートするのですが、水俣病、調べている時に、石牟礼道子さんの名著「苦界浄土」読んで、有明海の美しい風景、そこで一生懸命暮らしている漁師さんの姿が描かれていて、とても感動的でした。
また、出版編集研究会というサークルにも所属していましたが、やはり、持ち前ののんきさから、出版や編集の研究はほとんどしませんでした。(それが祟って、今現在、本ページ作りに苦労しています)
シタールに出会ったのは、そんな在学中の時です。
- ひとめで惚れてしまいました。
その、姿、形に ・・・・ 何か、分からないけれど・・・不思議なものに溢れている、
不思議なものが中にいっぱいつまっている・・・可能性に満ちている ・・・
ひとつひとつのさりげない、小さなところまでも、秘密がたくさん秘められている -
そんなことを感じさせてくれる、楽器でした。
インド旅行にいった友人が、自分用のお土産に買ってきたものです。
ただ残念な事に、運搬中に胴の部分を割っていました。かなり沢山の部分が割れていたのです!それを、苦労して木工用の接着剤で貼り合わせていました。
もっともこれは、ガーゼのように薄い布で包んだだけで、飛行機の貨物として預けた、彼の明らかなミスです。
それだけの梱包なら、かなり頑丈な楽器でも、傷つくでしょう。まして、デリケートな楽器シタールなら、なおさら。
よっぽど、くやしかったのか、彼は、「もう見たくもないから、売ってやる」といい、結局、確か五千円で売ってもらったと、覚えています。(ほとんど、くれたようなものです!ただでやるのもなんなのでプライス!)
ともあれ、張り替え用の弦一揃いと、爪(ミズラブ)数個、をセットにしてもらい、彼の気の変わらないうちに、いそいそと、持って帰りました。
ところが、そのあと、重要な問題が持ちあがりました!
どうやって弾いたらいいのか、どうやって音を合わせたらいいのか、まったく分からなかったのです。
ここまで、書きすすめて、「そうだ!、このホームページに訪れてくれたひとの中には、これと同じ状況の人も、いるはず。
同じ立場だった人間として、メンテナンスとか、弦の張り方とかの情報をぜひ載せるべきだ!!」と思いました。例えば、都会から離れて暮らしていて、楽器はあっても、情報の無い人、仕事が忙しくて習いにいく時間がとれない人達、のために。
あわてて、そちらのほうのコーナー「What's Sitar」の充実を図っております。↑と、ここまで書いたのが、01/3/15。
その後、ひーひー言いながら、シタールのことについて、まとめていました。
まるで、シタールをはじめて持った頃と、同じ状況です。何にも分からないなかで、夢中になっていたのですね!長いコメントになって申し訳ありません。
続きを書かさせていただきます。(そのうち、きちんとページを分けたい気もしてますが、なんせ冒頭に書いたように、あんまり立派な経歴でもないので・・・そこまでする必要があるものか・・・)
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さて、実際にシタールを手にしてみると、「どうもこれは親しんできたギターとかピアノとかとは様子が違うぞ」と感じました。どう様子が違うかというのは、上手く説明出来ないのですが・・・・
始めは、チューニングも何も分かっていませんでしたので、もう適当に「びよ〜ん・びよ〜ん」と鳴らしていました。
ただ、やはりそれでは、ちょっと物足りない気もしてきました。
図書館などで、「音楽辞典」みたいなもので、シタールを調べたのですが、あまり良く分かりません。
そこで、次には「お手本」のシタールの演奏を聴いてみよう!と、レコード(CDは当時なかった)を近所に探しにいきました。
「あの〜、シタールのレコードなんてありませんよね?」とわざわざ「ありませんよね」に力を込めてしまった!
そうしたら、店員の方が「ラヴィ・シャンカールはご存知ですよね。それなら今は、1種類だけありますけど・・・」と、シタールについて聞くなら「ラヴィ・シャンカール」くらい知っていてあたりまえ、という感じ・・・ 「えぇぇ、知らないんですけど・・でも、買います」といって買ってきました。
それは、ちょっと変ったアルバムでシタールとオーケストラの合奏でした。
「シタール協奏曲」ラヴィ・シャンカール(シタール) テレンス・エミリー(ボンゴ)アンドレ・プレヴィン指揮
ロンドン交響楽団 東芝EMI EAC-80424
です。
こんな感じのもの、懐かしいけれど、デザインは美しいですね!
さっそく聴いてみました。
オーケストラとシタールで合奏しているんですが、ともあれ私の関心はシタールの演奏にありました。
シタール奏者のラヴィ・シャンカールさんは現在でもご健在で、現役で演奏活動をされていますが、円熟した現在の演奏もさることながら、若い頃、欧米を駆け回って演奏を続けていたころのシタール演奏も素敵です。
正直いって、当時の私のイメージは、シタール(民族音楽全般)に関してとても曖昧なものでした。
シタールを弾くっていっても、まあ、適当に音が出せれば楽しいかなぁ・・・という程度の考えしかなかったのです。それに、何となく前に録音を聴いたときには、遠い国のめずらしい楽器の音を聴く位の心構えでした。
ところが、実際に楽器で音を出してみて、彼の演奏をレコードを通してですが聴いてみると、自分とあまりの格差にびっくりしてしまいました。(今思えば、当たり前すぎることなのですが)
それに、どうも「びよ〜ん、びよ〜ん」とだけ弾いているのでは、やっぱりちょっと楽しくないみたいです。
演奏の名手にならずとも、自分の気持ちを楽器に託せることって、楽しいですしね!!
そして、民族楽器の多くは、今まで触れてきた、ピアノやギターなどとまったく同じように、自分の気持ちをそこに託し音楽を作っていける、とてもすばらしいものだ・・・ということも何となく感じたのです。
「民族音楽」というのは、「音楽」以前の未発達なもの・・・という、何処でか身につけてしまっていた偏った先入観が壊れていくのを感じました。
20年以上前のことです。
・・でも、現在、たくさんのすぐれた「民族音楽」の音楽家達が世界中で活躍しているのに、未だにそんな先入観って、根強く残っているみたいですね・・・
ものの価値がはっきり認められるまでには、実際、長い年月がかかるのだと思います。 |
更に聴いていくうちに、シタールは撥弦楽器だけれども、メロディーの音が長く響く、「歌える撥弦楽器」という印象があり、そこにも関心が生まれてきました。
02/03/27
この先はまた後でね!!
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