花屋のおばちゃん パイサをくれた


 花屋のおばちゃん パイサをくれた

 おつりの パイサ ちいさく いっぱい

 ごつごつ した手で わたしてくれた

 おつりの パイサ てのひら いっぱい

   花を 好きに なるひとは

   人も 好きに なれるんだよ

   小さくても いいから いっぱい あげて 

   少しでも いいから  みんなに あげて

    ・・・といって

 花屋のおばちゃん パイサをくれた

 やさしく ほほえんで わたしてくれた


   おおきな まちの ちいさな みちに

   いっぱい ならんだ お店の ひとたち

   たとえ つましく くらしていても

   いきてる ことを わかちあってる

    ・・・みたいだネ!
 

 花屋のおばちゃん パイサをくれた

 ほほえんだ かおが まぶしかったよ!!

         2000 春頃・作


 インドのベナレスでの出来事です。

 ホテルの前の道端にたくさんの人たちが、布をひいて、露店をだしていました。
 
 そんな中に、首にかける花輪を売っている店がありました。

 お釣りをもらうとき、花屋のおばちゃんは、アルミの硬貨(パイサ)を、集め、それをきれいにそろえ山積にして、手渡してくれたのです。
 もっと大きな硬貨ないの? 尋ねても、おばちゃんは、にこにこして、「いいからもってきな!」とうれしそうな身振り。
 理解できず、釈然としないままに、お釣りを受け取りました。

 そんなささいな出来事が、ずっと心に残っていました。 何年もたって、あるとき、ふと、「おばちゃんは、施しのお金をくれたつもりだったのでは?」と、思い当たったのです。

 花輪は、お参りのときのもの。そんな場所には、施しを乞う人たちも、また大勢います。

 「この花輪のお釣りは、全部、貧しい人たちにわけてあげな・・お参りは、自分一人のためだけのものじゃないんだよ」

 そんなことを言いたかったんじゃないかな。


  マザー・テレサは、カルカッタからダージリンへ向かう列車の中で、「本当に貧しい人達と、ともに生きろ」という「神の声」を、「はっきりと」聞いたそうです。
 そこから、彼女の奉仕活動が始まったのだということです。

 もしかしたなら、貧しい人たちとともに生きている人々の無垢の祈りが、彼女の純粋なこころと響きあったのかもしれません。

 インドに限らず、どこにでも・・・・いや、誰でも、ひとのこころに響かせられる、そういった無垢なこころを本来もって生まれてきた・・

・・・そう思います。・・・そう信じたいです。